Chevrolet Corvette

初代 C1型(1954年-1962年)

シボレー初の2シーターレイアウトのオープンスポーツカー。1953年にプロトタイプが披露され、翌年に生産を開始する。初期のC1型コルベットは、純粋なスポーツカーというより、スポーツカーと先進的イメージを押し出した“雰囲気車”のような感は否めない。スチール製バックボーンフレームに、量産車としては初めてとなるFRPボディパネルを貼り付けた、ヨーロッパ車顔負けの先進的な特徴を有していながら、最高出力150馬力と貧弱な3,859ccの排気量を持つ水冷直列6気筒OHVエンジン、2速ATなど、少なくとも本質的な走りを重視する人々の琴線を刺激するだけの魅力は持ち合わせていなかった。しかも品質不足での購入者からの苦情も殺到した。これは先進的なFRP素材を使用したがために起こってしまった弊害である。まだ厳密な品質が確立されていなかった時代のため、温度差によってボディパネルが歪んでしまうことが原因だった。

初期にはこのようなメーカー側の不備から批判を受けたが、チューニングを生業とする者たちは、優れた車体特徴を備えたコルベットを見放さなかった。彼らは市場の不満の声に応えるかのごとく、エンジン・チューニングキットや、マニュアルミッションへの交換などを請け負い、潜在的な需要を満たした。

しかし、コルベットの評価を一転させるマイナーチェンジが行われることとなる。その先鋒に立ったのがGM実験部門に所属していたエンジニア、ゾーラ・アンカス・ダントフである。シボレー・セダン用の4,343cc水冷V8 OHVエンジンを専用にチューンを施し、コルベットのエンジンルームに押し込むことにより、大幅なパワーアップを達成する。1955年ではオプション扱いだったものの、1956年からは通常ラインアップに加わり、逆に当初の標準だった6気筒エンジンは蹴落とされる格好となった。ちなみに、このエンジンは後々のコルベットにもスモールブロックユニットとして受け継がれていくこととなる。トランスミッションもボルグワーナー製の3速MTが選べるようになり、いよいよ本格的なスポーツカーとしての認知を得るに至る。以降、ドーピングのごとくパワー至上主義路線を貫くようになり、200馬力前半だったパワーは、最後期には300馬力オーバーに達するまでになった。

C1型コルベットは、本格的にレースにも参戦し、そのテストベッドとして1954年にMule(雑種の意)と呼ばれる、レーシングチューンの施されたV8エンジンを搭載したモデルがあった。Muleは最高速トライアルやデイトナに参戦し、このモデルの活躍がコルベットの名声を高めるきっかけとなった。その後、1956年のセブリング12時間レースに参戦するために手直しされたコルベットSR(セブリング・レーサー)が出走し、クラス優勝に輝く活躍を見せ、1957年以降には数々のレースでアマチュアレーサーの手で走らされるコルベットを見るようになった。また、SRが活躍したとほぼ同時期に、更なるパフォーマンスアップを図ったSR2に発展し、1957年のデイトナでル・マン24時間レースの王者であるジャガー・Dタイプに続く2位に食い込み、その実力を示した。しかし、コルベットのレース活動の指揮を執っていたゾーラ・ダントフの意向により、SR2の現役としての期間は短く、その活動はコルベットの名を冠した、しかしオリジナルとは関連性のない新たなレーシングカーであるコルベットSSに委ねられた。

2代目 C2型(1963年-1967年)

スティングレイレーサーのスタイルを基礎にしてデザインされたC2型コルベットは、原型となったレーサーモデルの名を取ってコルベットスティングレイと呼ばれた。スティングレイとは赤エイの意である。名付け親は開発担当者の一人であるビル・ミッチェルで、これは彼が釣りを嗜んでいたことに由来するといわれている。なお、両車の間には構造的共通点はないに等しく、市販にあたって新たにボディ設計がなされている。販売が開始されたのは1963年から。オープンモデルのみのラインナップだったC1型と違い、クーペをメインに据えることとなった。

大きく変貌したスタイリングは、ダイナミックだった先代に対し、先鋭的でエッジの立った独特なスタイリングで、何物にも似ていない。特に1963年に生産されたもののみが有する、「スプリット・ウインドウ」と呼ばれる、ルーフからリアエンドに向かって走るフレームによって二つに寸断されるリアウインドウを持ったモデルは、現在でも人気と、付随するプレミアを獲得している。また、C5型まで伝統となった、本来とは逆方向から回転する構造を持つリトラクタブル・ヘッドライトが採用されたのは、C2型が最初で、このヘッドライトを備えたモデルは1964年に登場した。

エンジンは基本的に先代に採用されていたものが継承され、それに更にチューニングを加えたもの。排気量は大幅に拡大され5,358ccの水冷V8OHVエンジンで、キャブレターの違いで300馬力、340馬力、インジェクション仕様の360馬力のものが設定された。特に360馬力仕様は事実上のレーシング仕様で、足回りがレースでの出走を前提にして硬く引き締められており、とてもではないが公道での使用に使おうと思わせるものではなかった。デビューから2年後の1965年には、レーシングスペックのZ06が登場。6,489ccという排気量を持つ、通称ビッグブロックユニットが搭載され、425馬力、約64kgmというハイパワーを誇った。後にビッグブロックは更なる排気量拡大を受け、427立方インチ (6,997cc) までスープアップされている。圧巻なのはL88型と呼ばれる、C2型末期の1967年に追加されたエンジンで、レーシングカー用エンジンをデチューンしたものである。燃料には103オクタン以上のレース用ガソリンを使用しなければ動かないという、日常的な公道での使用などにはとても堪えられる仕様のものではなく、あくまでGTレースを出走するためのホモロゲーションを取得するためのモデルだった。また、L88型は430馬力と公表されたが、監督官庁の懸念や保険料の問題等で伏せていただけで、実際は500馬力以上だったと言われる。L88型エンジンを積んだコルベットは、20台が市販されるに留まっている。L88型を搭載したC2は約7,600万円の値が付けられオークションで落札された。

初期C1型で犯してしまったミスを払拭するかのごとく、トランスミッションには力が入り、標準装備の3速MT、オプションで3速AT、ギアレシオをクロスさせた4速MTが設定された。このことからも、コルベットは2代目にして、シボレーの旗持ちを務めるほどのイメージリーダーとなっていた。

ボディは完全な新設計で、堅牢なラダーフレーム構造を採っていた。車高は低くなり、重心も下がっていた。C2型コルベットは、フロントエンジン車でありながらリアヘビーという、かなりユニークな前後重量配分を有していた。これは燃料タンクが最も後ろに配置されていたためで、通説では前後47:53の重量配分といわれている。足回りは前ダブルウィッシュボーン式、後トレーリングアーム式で、後輪にリジッドアクスルを採用していた先代と比較し、前後輪とも独立懸架によって支持されるという進化を遂げた。フロントはコイルスプリングだが、後輪には本来縦に置くはずのリーフスプリングを横置きにしていた。これは後々のコルベットにも受け継がれることとなるが、実はこのスプリングには設計の妙が込められており、バネ下重量を理論上0に抑えることができる利点があった。ブレーキは当初4輪ドラムブレーキだったが、1965年からは4輪ディスクブレーキに改められている。

3代目 C3型(1968年-1982年)

1968年、早いタイミングでバトンタッチされたのが、通称コークボトルと呼ばれるボディラインを持つC3型コルベットである。大胆に膨らんだ前後フェンダーとくびれたように見えるボディ中央部がコーラのビンを連想させたことから名づけられた。このデザインは、このモデルを最後にデザイナーを引退したビル・ミッチェルと日系人ラリー・シノダがデザイン・スタディとして生み出したMako Sharkが原型で、そのデザインをほぼ踏襲している。また、ネーミングにも変化が生じ、当初はコルベットスティングレイの名で販売されたものの、1978年のマイナーチェンジでは単にコルベットの名に改称された。

その独特なスタイルと、バリエーションにコンバーチブルと量産車初のTバールーフのタルガトップを採用しながらも、シャシーやサスペンションは基本的にC2型のそれを引き継いでいる。しかし、リトラクタブル・ヘッドライトは少々違い、C3型のそれは回転式ではなく、カバーを上へ持ち上げるオーソドックスなメカを採用している。これは歴代コルベットの中では唯一である。エンジンは基本的にキャリーオーバーで、1969年にはビッグブロックユニットが排気量拡大の変更を受けて、7,440ccまで引き上げられた。標準エンジンであるスモールブロックユニットには基本的に変更はなく、ビッグブロックユニットと同じ年に排気量5,358ccから5,738ccにまで拡大しているが、額面上は同じ300馬力と変更はない。また同エンジンを基本にチューニングを施したLT1ユニットは350馬力仕様に加え、1971年までは高圧縮比によりパワーを稼ぎ、370馬力にまでチューニングされたものが設定されていた。

C3型登場の翌年、総生産数3台、市販車両に搭載されたものは僅かに2台という幻のパワーユニット、ZL1ユニットが1969年の期間のみ追加される。これはC2型コルベットに載っていたL88ユニットの発展型で、エンジンヘッドのみならずエンジンブロックまでもアルミ化されたスペシャルエンジンである。このエンジンはオプション設定という形でカタログに記載されることとなったが、車1両に匹敵するほどの高額の追加費用が必要だったため、ごく少数の生産に留まることとなった。しかし、1971年にはマスキー法が全面施行され、プレミアからレギュラーガソリンに対応、三元触媒の取り付けなど排ガス対策に追われたため、全てのパワーユニットが軒並み20~30馬力ほどダウンすることとなる。その対策として、ビッグブロックユニットを425馬力にまでチューンしたエンジンが追加されるが、環境問題が叫ばれる逆境などを理由に1972年に廃止された。クロームメッキバンパーを捨てた1973年、エンジンラインナップが大幅に整理され、5,735ccのV8 OHVエンジン一本となり、標準仕様は190馬力、オプションで210馬力、更に排ガス規制の厳しいカリフォルニア州専用に、コンピュータ制御の排ガスコントロール装置を取り付けた仕様が存在し、180馬力を発生した。1972年からエンジン性能表示が変更され、グロス値からネット値に移行したため、従来よりも低い馬力換算がされていたものの、このエンジンは従来のものより確実にパワーダウンを強いられていた。

C3型の最も大きなマイナーチェンジは1978年のことである。大きな変更点として、それまで垂直に降り立つリアウインドウが、ルーフからボディ後端までを繋ぐ湾曲した一枚ガラスに変化し、規制によって5マイルバンパーが装着された。オプション設定にはグラストップが追加されるが、これはコルベットがスポーツカーというより、長距離を高速で移動することに主眼を置いたGTカー的な方向に寄ったものであることを示していた。1981年にはオプション設定されていたエンジンが姿を消したが、C3型最後の年1982年には、キャブレターからインジェクションとなり、10馬力上乗せの200馬力を計上した。

トランスミッションは4速MTと3速ATが用意され、1982年には4速ATが設定されたが、この年にはマニュアルミッションの設定がなく、このことからも後期のC3型はGTカーとしての位置づけを与えられていたことを裏付けている。

C3型コルベットは1982年型がラストイヤーだったが、同年に予定されていた新型コルベットへの移行が翌年にずれたため、一時は「コルベットはC3が最期」と騒がれてしまった。

参照:Wikipedia

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